一次創作を描こうと思った話

2021年から突然一次創作漫画を描き始めたので、その理由などです。
最初に結論を書いておくと「二次創作してて、これ一次創作でいんじゃね?と思った」というだけのごく個人的な話です。

前提の自己紹介

学生の時から2021年春まで二次創作の漫画をずっと描いていて、同人誌にしたりネットにアップしたりしていました。途中で小説も書いてみたけど向いてなかったようで続かなかった。漫画は嫌だ嫌だ描きたくないと叫びながらもずっと描いてる。漫画が描きたいというよりは、萌えを発散する術を他に知らないがために描いているという感じ。

オリトレ*1・pixiv企画*2・歴史創作あたりの、一部設定があっての創作はしたことがあったけど、完全にオリジナルの一次創作はしたことがなかった。

オリトレ*1…ポケモンの世界観でオリジナルのポケモントレーナーを創作するというもの。

pixiv企画*2…色んな人がオリジナルのキャラで参加して、人様のキャラたちと自分のキャラを一緒に描くことにより交流するというもの。世界観の設定は提供される。

二次創作のもやもや

「今さらそんなこと言ってんの?」って感じのことを書きます。

神の作ったキャラを自分なりに咀嚼・解釈してまた組み立てて動かすのが「二次創作」だと思ってます。これが2020年までわたしが「二次創作」について、していた理解。あんまり何も考えてなかったので、このレベルの言語化もせずにぼんやりと頭にあったくらいのイメージ。

なにがきっかけか忘れてしまったけど、その「二次創作」に対するイメージが頭の中で分解されてきた。

キャラを自分なりに咀嚼・解釈しての部分について

例えば自分の好きなキャラがいたとして、そのキャラを構成する10の要素があるとします。冷静、いじわる、頭がいい、など。その要素の解像度の高さ、解像度を上げたときの方向性、どの要素に注目するかによってキャラ解釈が分かれると思う。

この時「解像度の高さ」は自分の人生経験というか、今までのインプット量によるんじゃないかと思います。で、「解像度を上げたときの方向性」は今までのインプットと好み、「どの要素に注目するか」は好みなような気がする。

また組み立てて動かすの部分について

二次創作作品のストーリーは描き手である自分が考えるわけじゃないですか。自分が考えるといっても、もちろん原作の世界観を踏襲してキャラを使わせてもらって…なんだけど、上で述べた通りキャラ(はもちろん世界観も)解釈はめっちゃ「自分」に依存する。この「自分依存の解釈」に合わせてストーリーを考えてるだけなんだなあと気づいた。

しかもわたしの場合はアウトプット段階で明確に自分好みの行動を取らせる。「このシーンは、このキャラならAかBの行動をとるだろうけど、今回はAにしてくれよな!話の都合上!」ってする。

一次創作でいんじゃね?

「二次創作で描いた漫画がこれだけ自分に基づいてるなら、0から自分で考えて描いたらどうなるんだろう?それで済むなら神のふんどしをお借りしない方がいいんじゃないかな?」と思った次第です。

原作が好きな気持ちやキャラクターを好きな気持ちは本当だと思ってるけど、自分のアウトプットを見てたら「一定以上は幻なのかもな」と思うなどしました。まだ仮説検証中って感じなのでわからないですが。

実際描いてみての感想

一次創作の漫画を80ページくらい描いてみました。同人誌が2冊と、おまけとかまた別の漫画とか。

感想としては「いや、わたしは一体何をしているんやろう……」です!!ほんまに何をしてるんや。そもそも今まで漫画を描いてきたのはキャラ萌えカプ萌えが高じて仕方なくのことだったのに、それもなくこんな苦行を自らすすんでやってるなんて意味がわからない。

「こういうのが好きなんですよ~かわいいよね~😄」の気持ちは発散される。そもそも何もないところからわざわざそれを作り上げる必要があるのかと言われれば疑問ではあるけど、これをやってると前述のような過剰な二次創作はしなくて済むだろうなという気はしました。

まだ確信を抱けるほどじゃないのは、二次創作をしたい気持ちが今現在ないからだと思います。でも今までの人生ずっと二次創作をしてきて、その間に「完全に原作レイプやなこれは」と自覚しながらやってたジャンル(鋼鉄三○志)もあるのにそれはスルーして今こういう考えになって、この考えが検証できるほど同程度にズブズブになるジャンルが今後の人生にまたあるかどうかはわからないです。だからもしかしたら一生結論は出ないかもしれない。